2/25-3/1の4泊5日で、院生とともに喜界島・奄美大島・徳之島を巡見してきました。
喜界島では、大宰府とのつながりが注目される城久遺跡を訪問。
喜界島は鬼界島とも書かれ、平安末期に俊寛が流されたという説があるため俊寛像も設置されている。
ただ、喜界島と鬼界島とは名前は音通ではあるが、「平家物語」の描写によると、俊寛は鬼界島で硫黄をとっていたとされるので、硫黄が産出する硫黄島(鹿児島県三島村)が俊寛が流された鬼界島であろう(喜界島では硫黄がとれない)。


奄美大島では、宇検村の倉木崎海底遺跡前などを訪問。
近隣の碇さん宅の庭には庭石として再利用された日宋・日元交流時代?のジャンク船の碇石と思われるものもある(真ん中の写真)。碇氏は、江戸時代に枝手久島湾水路の掘削の功績により碇姓をもらったといわれるが、現在、その屋敷は更地になっており、庭石のみが残されている。
一番下の写真は、奄美アイランド内におかれている碇石で、もともとは北部の龍郷町で発見されたもの。かなり巨大である。


龍郷町生涯学習センター前に置かれた碇石のうち1本は(下の写真)、西郷隆盛が住んでいた小浜龍家本家跡近くの畑に置かれていた碇石で、昨年に確認されたもの。奄美大島では、大型の碇石が北部の龍郷町で発見されることが多い。このあたりには、城久遺跡と近い時代から確認できる城跡もあり、類似の出土遺物も出ているようだから、喜界島と奄美大島北部の港とのつながりにも注目したい。

徳之島では、カムィヤキの窯が発見された伊仙町を訪問。
伊仙町で発見されるカムィヤキは、基本的に焼いている過程で破裂した失敗作が出土する。
窯跡が発見された一帯は、昔から焼き物の破片が落ちており、亀焼(カムィヤキ)と言われていた。
琉球弧で流通するカムィヤキが徳之島のどこから積み出されたのかは分かっていない。
徳之島を巡見して思ったのは、徳之島町の亀津・亀徳は有力な積み出し港候補地となるのではないかと感じた。
亀の字がつくのも気になるが、ここは島津氏の琉球出兵の際には樺山氏が来ており、現在でも大型フェリーの港として位置している。
河川の河口なので、真水の作用で、珊瑚礁も切れている(かつてもそうだったのではないか?)。
その場合、カムィヤキの窯から近い面縄港(古井戸はあるが、大型船の着岸は無理そう)から小舟で亀津・亀徳まで運送し、ここで外洋船に載せ替えて流通させたのでは?とも妄想してみた。
徳之島では、小型の碇石も数本確認した。
